冬山のトイレ事情。携帯品     

 笑顔が明るい人だった。アルパインクライマー谷口けいさんがなくなって今日で7年、まだ悲しみが新しいですね。彼女の理想とした登山スタイルは、サポートなどを受けずに自宅を出た時の格好そのままで山頂に立つというものでした。

 それを貫いて8000m級を無酸素でよじ登るのですからその力量は計り知れません。エベレストにも立っています。同じクライマーの平出和也さんと組んで完登した厳冬期の8座には特記すべにものがあります。以下がその記録です。

 ゴールデンピーク(7027m)、ライラピーク(6200m、ムスターグアタ(7569m)ジブリン北壁(6543m) ナニムニ(7694m)カウリシャカール(7134m)途中断念、ナムナミ(クルマランダータ)峰

 その出会が変わっています。平出さんがパキスタン北部にある未踏峰ゴールデンピーク(7027㎡)の登攀を計画し,パートナーを募ったところ応募してきたのが谷口さんでした。女性だったので驚いたでしょうね。何しろ極寒の氷壁に半ば宙吊り状態のテントで一夜を明かすこともあるのです。夫婦でも恋人でもない二人が「ギクシャク」せずにいられたのは不思議な気がします。しかし何の乱れもなく登山家の憧れ、誇りの象徴、ピオレ・ドール賞を二人同時に受賞しています。

 後に谷口さんは、二人がまったく同じ感覚で山頂だけを目指していたからだと回想しています。技術的にも同じレベルでどちらかがリードするということはなかったようです。年齢は谷口さんが5~6歳上のようです。

 この時トイレはどう処理していたのでしょうか。極寒の難ルートに燃えるように挑む二人には語るに足ることではなかったにちがいありません。しかし7年前の昨日、谷口さんは北海道大雪山黒岳を男性4人のパーティと下山中トイレのため安全ベルトを外して岩陰にいき、さらにその裏側にまわったまま帰ってきませんでした。手袋がきちんとそろえて置いてあったそうです。

 彼女が発見されたのは,700㎡下の谷底でした。やはり安全ベルトをはずせるような場所ではなかたはずです。男の中に強いリーダーがいて、いたとしても「危ないからダメだ。ここでしろ!」とは言いにくいですね。また彼女にしてみれば男の前でお尻出したくなかったのでしょう。

 結局彼女の死は、Ladyだったからということ以外にありません。ピオレ・ドール賞の授賞式に臨む折の、襟元を白く整えた紺の和服姿が忘れられません。